あなたがあなたの人生を生きなくて、誰があなたの人生を生きるというのですか。
こんにちは。5月も最終の週になりましたね。今日久しぶりにホームセンターに行きまた。街には、ランドセルを背負った小学生が、お友達と楽しそうにお喋りしながら、登校していました。時間差で学校に行ってるんですね。こんな当たり前の光景に心が動かされる。当たり前だと思っていたことは、実は特別なことであったのかもしれませんね。
久しぶりにホームセンターに行きました。
— もっさん(こころケアカウンセリングやまもと) (@kokoniarusnao) 2020年5月25日
もうマスクなんか安い値段で
個数制限もありません。
マスクとか
消毒ジェルとか
使い捨ての
ビニール手袋とか
いっぱい買いましたー^_^
帰ってきてから
商品を確認していたら
ハムスターも
買っていました(笑)
めちゃ可愛いですねん😍 pic.twitter.com/2n4qgsi1j5
そうなんです。今、家には「まりも」」というハムスターがいるのですが、また増えました(笑)名前は「こうめ」と名付けました。
こういうときに人がよくいうセリフ。「こいつが呼んだんだよね」「こいつと縁があったんだよね」「運というのは恐ろしいねえ」あんたが一番恐ろしいよ(笑)
買ったのは私です。つまり私が決定したのです。ハムスターが決定したのでもなければ、ペットショップのお姉さんが決定したのでもありません。
私はそれを「自分軸による自己決定」と呼んでいます。
人間は基本的に「自分軸」で生きています。それが何かの拍子に、成長の過程で ぶれてしまうんですね。でも考えてみてください。どんな時でも人間は自分で決定しているんです。誰かにアドバイスを受けたり、指示を仰いだりすることはあります。でも、最終的には自分が決定しています。私が教師を辞める時も、自分で決定しました。今日ハムスターを買ったのも、自分で決定しました。
「決定権はいつも自分にある」
この言葉をしっかりと認識すことが大切ですね。ピンチになっても「自分に主導権がある」と思うことです。
相手があなたに怒っていたとします。考えてみてください。相手は、あなたに対して、「怒る」または、「怒らない」という選択肢があったのです。そして「怒る」という選択をしたのです。相手が「自己決定」しただけの話です。だから、相手が怒っていることに対して、あなたが申し訳なく思うことは、何一つないのです。相手は機嫌良く怒っているのですから(笑)
相手に何かを迫られたらそう思えばいいのです。「決定権は私にある」と。
こうすれば、この人は喜ぶかな。怒らないかな。私はどう見られてるのかな。こういった考えが、他人軸です。つまり他人の人生を生きているということになります。
あなたがあなたの人生を生きなくて、
誰があなたの人生を生きるというのですか。
自分のお気に入りの服を着て、自分の好きなお店に入り、自分の好きな飲み物でも飲みませんか。ただしソーシャルディスタンスにはご注意を。
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