そのとき天罰が!!彼の身に一体何が!!家政婦はみた。神の怒りを。
こんにちは。急に暑くなってきました。自粛続きで家の中のゴロゴロ生活が続いていました。今日は山へ行ってみようと、外に出ましたが、暑くて途中で引き返してきました。体が暑さについていかないですね。
さて今日は「天罰」のお話。「天罰」とか「バチが当たる」とか本当にあるのでしょうか。
ありません(笑)あるわけないです。でも「あんたバチが当たるよ」って言われたら、この歳になっても良い気持ちでないのは確かです。しかし、それは神罰の存在どうこうより、小さな頃からの刷り込みによるものなのです。
そういう類のものはたくさんありますね。「火遊びするとおねしょをする」「夜、口笛を吹くと蛇が出る」などなど。そのように言うことで小さな子供をしつけていたのですね。「悪い行いには必ず天罰が下る」「悪いことしてるとバチが当たるよ」私もしょっちゅう言われて育ちました。
私がそんなものはない、と考えるようになったのは、母が父親のDVで亡くなってしまったのがきっかけです。バチが当たるのは父であるはずなのに。。。
悪いことをしたらバチが当たったかのように、よくないことが起きるときがあります。でも、起きない時もあります。悪いことがおきていることに気付かない呑気な人もいます。偶然を何かに意味づけてしまう人。偶然は偶然で気にしない人。どちらが気楽か言うまでもありません。
私が中学三年生の修学旅行で、とある神社に参拝したときのことです。鈴緒ってご存知ですか。あの賽銭箱の上からぶら下がってる鈴のついた紐のことです。それにクラス一番のやんちゃがぶら下がって昇り始めたのです。上まで昇り、鈴を叩いて鳴らし、ぶら下がったまま、ターザンの真似をし始めたのです。誰もが「バチが当たる」と思いました。その時です。鈴緒が切れたのです。ガランガラーン!と言うけたたましい音とともに、そいつは落ちてきました。幸い、かすり傷程度で済んだのですが、誰が見ても、まさに天罰ですね。
でもね、そんな無茶したら切れますよ。天罰以前の問題です。場所が場所だけに「でもなあ」と言いたい気持ちはわかりますけどね。
「天罰」とか「罰当たり」とか言う考えを、私が好まない理由は次のような理由からです。
何かでつまずいたりした時に、「こうなったのも私が悪い。罰が当たったのだ」となるでしょう。つまり、自分を責めちゃうんですよ。自分を責める癖がつくと、何でもかんでも自分のせいにしてしまう。そしてうまくいかないのは天罰だからしょうがない。どんどん後ろ向きになってしまうんですよね。だから、私はそう言う考えはしたくないのです。
神様は信じますか?と言われたら、何を神様と呼ぶかでしょうね。トイレにはいません(笑)いようが、いまいが。一番汚れるところは、一番綺麗にしないといけないのは当たり前です。
神様、いると思った方が人生楽しいと思う人はいると思えばいいし、私のように、なんでも偶然で、我関せず、の方が生きやすいと思えばすればいいのです。他人の人生に口出ししたら、それこそバチが当たりますよ(笑)
明日は「自分軸で生きる」がテーマです。
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