Twitterに書ききれない心のケア術

もっさんのぐうたらブログ

思考の硬い日本人(早い話が石頭)

 

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 昨日は「石頭」の話になってしまいましたが、どうして「石頭」の人が多いのでしょうか。頑固者というより、思考に柔軟性がない人を私は「石頭」と呼んでいます。最近はやっといろいろな考え方、生き方が出てきました。それはいいことだと思うのですが、社会自体が「石頭」ですので、柔軟な考え方の人が逆に生きづらくなっているように思われます。最近こんなことがありましたね。

 型コロナウィルス感染拡大により、マスクが不足。私たちは手作りマスクでなんとか対応しています。街を歩いていても様々なデザインの手作りマスクを目にします。それに対してある学校がこんなことを言い出しました。「マスクは白に限定!」

 どろきました。すぐ修正されたようですが、自分の経験からも学校というところは、「石頭社会」であるという一つの例と言えましょう。

 業柄、心の病で教室に入ることのできない子供と接することが多いのですが、彼らは非常に個性的です。話をしていてとても面白い。その個性が「マスクは白」という価値観を持った人たちの社会の中で潰されているのです。はっきり言いまして、そんな子供たちを変えようとするのではなく、学校が、社会が変わりなさい、と私は思うのです。

 戸時代と違い身分制度もない、そしてグローバルな時代になりました。子供達だけでなく大人の中にも新しい多様な考え、生き様の人たちが現れてきました。しかし、問題は社会の方がそれに適応していないのです。だから生きづらさを感じる人が、後を絶たず出てくるのです。古くから日本人が好む考えに、「統一の美」があります。「和」です。全員が同じ色のマスクをしていることに美意識を感じてしまう。時と場合を考える柔らかさが働かないと、時にそれはとんでもないことを招くのです。そんな社会に合わない人々は、自分を責めます。教室に入れないない子供達も自分を責めています。君が学校に合ってないんじゃないよ。学校が君に合ってない。だから悩むのは学校であり、君には毎日楽しく生きる権利がある。彼らはうつむき少しだけ笑ってくれます。

 本人は一度やり始めたことは最後まで続けることが美と考えています。これもひとつの「べき思考」に他なりません。いろいろなことに手を出してみるのもひとつの生き方です。

 えば部活動中学から大学までひとつのスポーツをやってきた人。反対に中学から大学まで十年間毎年違う部活動をしてきた人。前者は評価され、後者は長続きしない人間と社会は見ます。面接ではなぜやめたのか、という理由ばかり追及されます。どちらがいいということではありません。どちらもいいのです。

 事ですが、私の娘は高校一年生が終わる春休みに、学校をやめると言い出しました。私は当然理由を聞きました。娘は夢を語り始めました。翌日、退学届を出しました。娘はいろいろ仕事も変わりましたが、自分の店を持つという夢を叶えました。

 子はあけてもくれてもパソコンゲームに夢中でした。一緒に毎日遊んでました。今はIT関連会社を自分で作りました。

 自分が楽しめることで人を幸せにできたらいいなあと私は思います。

 石頭思考はいつも一方通行です。そして白か黒かを迫ります。そして自分のルールで善悪の判断をします。それは他人を傷つけながら、自分も苦しみます。

 生きづらさを感じたら「Everything is OK」そう唱えてみてください。

 

 

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